マチュピチュ山の登山を終えて、念願のマチュピチュ遺跡の観光をしたので、その時の情報を写真と合わせて、まとめてみました。
今回は、マチュピチュ遺跡の歴史と観光スポット、僕が写真を撮影したマチュピチュ遺跡の観光スポット、個人的なマチュピチュ遺跡のおすすめ観光スポットなどの情報について、ご紹介していきます。
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マチュピチュ遺跡の歴史と主な観光スポットについて
マチュピチュ村の歴史と重複してしまう部分もあるかもしれませんが、マチュピチュ遺跡の歴史をご紹介していきたいと思います。
マチュピチュ遺跡は、標高2430メートルの地点にあるインカ帝国(1500年頃)時代の遺跡です。
マチュピチュ山は、標高3000メートル、ワイナピチュは、標高2720メートルの地点にあります。
そして、マチュピチュ遺跡には、3メートルずつ上がる段々畑が40段あり、3000段の階段でつながっているそうです。
さらに、石で造られて建物は、約200戸もあるそうです。
マチュピチュ遺跡は、1983年に世界文化遺産に登録されたペルー国内にある世界遺産の中の1つです。
現在も色々な研究がされてはいますが、アンデス文明は非常に発達した文明ではありましたが、文字を持たなかったため、首都クスコとの関係・役割分担など未だに解明できないことが多い遺跡であり、『新・世界七不思議』の1つとなっています。
インカ帝国(1500年頃)時代に建築され滅亡したマチュピチュ遺跡は、19世紀になるまで存在を世に知られていませんでした。
この遺跡が多くの方に知れ渡ることになったのは、アメリカの探検家である『ハイラム・ビンガム』さんが、1911年7月24日に古いインカ時代の道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見したそうです。
真偽はまだ確認中のようですが、『ハイラム・ビンガム』さんよりも9年も早い1902年7月14日にペルー人(クスコの農場主アグスティン・リサラガ)の方が先に発見していた可能性があるようです。
上記のようなマチュピチュ遺跡の中で主な観光スポットは、Googleマップさんでマチュピチュ遺跡を検索すると、下記となります。
その他にも写真スポットはいくつもありますが、下記が有名な場所となります。
『House of the Guardian to the Funerary Rock』
『Main Temple』
『Sacred Plaza』
『三つ窓の神殿』
『Group of the Three Doorways』
『Temple of the Condor』
『Old City Gates to Machu Pichu』
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僕が写真撮影をしたマチュピチュ遺跡の観光スポットについて
マチュピチュ遺跡の観光に伴い、某地球の歩き方2014年版を参考に観光しました。
観光をしたのは、2016年12月25日だったので、だいぶ古い情報ではありましたが、観光する際には参考になりました。
遺跡内には、遺跡の案内板と順路を示す看板があるので、ガイドブックなどがなくても何となく観光はできるとは思います。
マチュピチュ山から戻り、最初に観光した場所は、見張り小屋と呼ばれる場所で少し小高い場所に位置しています。
ガイドブックやテレビなどで撮影されるようなマチピチュ遺跡を全体的に撮影できる写真スポットでした。
かなりの観光客の方がそこで写真撮影をしていました。
そのため、僕を始め、観光客のみなさんが順番待ちをして良い場所から撮影したりしました。
次に、『Old City Gates to Machu Pichu』を訪れました。
マチュピチュ遺跡の市街地への入り口です。
僕は、身長が179cmあるのですが、少し屈んで通らないと厳しいくらい天井が低かったです。
遺跡の全貌が残っていた時に、住民の方々がここから出入りをしていたと思うと、何かロマンを感じます。
マチュピチュ遺跡の入り口から順路を歩いていき、『三つ窓の神殿』に到着する前に、個人的に良い写真撮影スポットを発見しました。
三つ窓の神殿は、その名の通り、三つの窓があります。
石で造られているのですが、表面は滑らかで窓の形も均等に感じました。
インカ帝国時代のモノ作りの技術の高さを思い知りました。
三つ窓の神殿を見学し、またしばらく順路を歩くと、インティワタナ(日時計)に辿り着きました。
インカ帝国の方々は、太陽暦を使用していたので、ここで暦を読んでいたということです。
その後、ワイナピチュ登山道への入り口、聖なる岩を見学しました。
ワイナピチュ登山道の入り口は、遺跡入場口からだと、マチュピチュ遺跡の最北端にあります。
聖なる岩は、ワイナピチュ登山道入り口から数歩の場所にありました。
正直、聖なる岩は、ただの大きな岩にしか見えませんでした。
そして、『三つ窓の神殿』(3つの入り口の家)、『Temple of the Condor』(コンドルの神殿)を見学しました。
マチュピチュ遺跡は、エリア毎に階級が分けられていたようで、3つの入り口の家の隣は、貴族の居住区となっており、コンドルの神殿の隣は、技術者の居住区となっているようです。
最後に上記のような段々畑が広がるアンデネス(段々畑)が目の前に広がってきました。
この畑を利用し、食料を生産し、インカ帝国を支えていたようです。
僕が写真撮影をした観光スポットは上記のいくつかの場所となります。
しかし、マチュピチュ遺跡には、さらにたくさんの観光スポット、そしてインスタ映えする絶景スポットがあります。
遺跡だけでも十分楽しむことができますが、遺跡内には、アルパカ、リャマ、リスみたいな動物などが生息しているので、彼らの機嫌が良い時に一緒に写真撮影してみても良いと思います。
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個人的なマチュピチュ遺跡のおすすめ観光スポットについて
個人的なマチュピチュ遺跡のおすすめ観光スポットについて、重複する部分はあると思いますが、ご紹介していきたいと思います。
観光スポットではありませんが、マチュピチュ遺跡内には、アルパカ、リャマ、リスみたいな小動物が居ますので、遺跡観光に飽きたら、探してみたり、写真を撮影してみたりしてください。
・『ワイナピチュ(若い峰)』
今回は、マチュピチュ山の登山を選択したので、ワイナピチュの登山はしませんでした。
ワイナピチュは有名であり、1日に決められた登山者数もマチュピチュ山よりも少ないため、チケットを取るのも困難です。
マチュピチュ遺跡が標高2500メートルくらい、ワイナピチュは標高2700メートルくらいとなります。
約1時間半から2時間くらいの距離ではありますが、登山道がかなり狭く、ロープを使ったり、大きな岩をよじ登ったり、意外にハードな登山となります。
ただし、マチュピチュ山では、少し遠めにマチュピチュ遺跡が見えますが、ワイナピチュからは真上からマチュピチュ遺跡を見ることができます。
是非とも、2回目のマチュピチュ訪問のチャンスがあれば、訪れてみたい観光スポットです。
・『太陽の神殿(The Temple of the sun)』
インカ帝国の太陽信仰のシンボルというべき建造物です。
高さ5メートルの石壁に囲まれており、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込む太陽信仰に基づいた造りとなっています。
そして、太陽の光が神殿の中にある聖なる石を照らし出します。
インカ帝国の太陽信仰では、王様は太陽の子孫とされていたそうです。
そのため、この太陽の神殿は、マチュピチュ遺跡の中でも重要な建物の一つとなっています。
・『3つの窓の神殿(The temple of the three windows)』
この建造物もインカ帝国の太陽信仰に基づいており、夏至の日の出の方向を示しています。
そして、3つの大きな窓は、中央広場に向かって開いています。
本当かどうか不明ですが、この大きな窓から初代皇帝が生まれたという伝説が残っています。
・『インティワタナ(Intihuatana)』
こちらの建造物もインカ帝国の太陽信仰に基づいて造れており、角柱は正確に東西南北を示しています。
太陽暦を使用していたインカの人々が、暦を読むための日時計として利用していたそうです。
この建造物は、太陽の神殿の一番高いところにあります。
この周辺は、パワースポットとして、世界中の人に知られており、多くの観光客が手をかざしたりしています。
・『見張り小屋』
マチュピチュ遺跡全体を一望できる高台にある見張り台となります。
ガイドブックに載っているマチュピチュ遺跡の全景が広がっており、絶好の写真撮影スポットとなっています。
急な長い階段を高い場所まで上がる必要がありますが、頂上からは高い山々に囲まれたマチュピチュの段々畑が目の前に広がります。
・『コンドルの神殿(Temple of the Condor)』
コンドルの形に似ていることから、この名前がつけられています。
この建造物は、自然石を巧みに組み合わせた不思議な建物であり、左側がコンドルとくちばしと頭、背後の石積みはコンドルが羽を広げたイメージとなっているようです。
マチュピチュ遺跡の歴史と観光スポット、僕が写真を撮影したマチュピチュ遺跡の観光スポット、個人的なマチュピチュ遺跡のおすすめ観光スポットについての情報は、参考になりましたでしょうか?
重複してご紹介している箇所がありますが、マチュピチュ遺跡を訪れたなら、是非とも観光していただきたい場所なので、参考になればと良いなと思います。
次回は、マチュピチュ遺跡からマチュピチュ村までの道のりについて、ブログを書いていきたいと思います。
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